第12集 ロールモデル集 日本語
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し、その後1948年に聖心女子大学の初代学長に就任しました。当時復興段階にあった日本で、土地を取得し、新たな校舎や修道院の建設、大学院や新学科の設置を行い、短期間で聖心女子大学の土台を築き上げました。ブリット学長は「せっかく、女性が学問をするための四年制大学ができたのだから、それを十分に活かしてほしい」と、当時から学生たちに“新しい”女性の生き方を伝えていました。規律やしつけについても語ることが多く、「聡明になりなさい!」「あなた方は、社会のどんな場所にあっても、その場に灯をかかげられる女性となりなさい!」(小山、P76、2014)と、女性の在り方を熱心に語っていたそうです。また、ブリット学長が創設した学生自治会の会長を、先生は務めておられました。ブリット学長は学生たちがアイディアを出し合い、自ら進んで行動することが重要だと考えており、先生も「自治会の中でイニシアティブを取って、そしてそれを自分たちでまとめていきなさい」「学校生活を通していろいろな経験をしながら、もっと本質的なイニシアティブを取って社会活動をすることを考えなさい」(小山、P77、2014)という言葉をもらったといいます。アイディアを出し合いながらみんなで議論し、物事を決めていくという姿勢は、ブリット学長の言葉に原点があるのでしょう。学生職員橋野「48歳のオガタ氏は大きな世界会議で日本を代表するだけでなく、最近やっと自由化の意思を持ち始めた500万人の日本女性にしっかりと見られることになるであろう」(1976年4月2日ニューヨーク・タイムズ、小山、2014)先生の活躍ぶりは当時から女性たちの憧れになっていました。上記の言葉は国連公使に任命された際、ニューヨーク・タイムズで記載された言葉です。国際的な官僚機構、かつ男性中心の組織の中で、先生は型にとらわれない働き方をされていました。共に上智大学で教鞭を取った鶴見和子名誉教授は、次のように語っています。「緒方さんは人の命、全ての生き物の命を最優先に考える。NGOや現場の人々とのネットワークのなかでお互いに対等な者として学び合い、助け合う関係を彼女は尊重している。そうした命を大事にする緒方さんの働き方は、社会学的に見ても非常に創造的です」(栗原、P134、2003)階級主義や管理主義といったやり方ではなく、命に重きを置いていたことが伺えます。先生の人気の理由は、その働きぶりが評価されたからだけではありません。親しげに手を振ったり、人を惹きつけるような笑顔や細やかな気配りも、その人気の一つでした。先生が世界のリーダーとしてご活躍された背景には、身近な人の「生き方」と「言葉」がありました。先生の、自分の軸をしっかりと持ち信念を貫きとおす生き方、リーダーとしての決断力、そして現場主義を大事にし、分析を行う姿勢は、父親の豊一さんやブリット学長の姿、言葉に重なるところが多分にあるのではないでしょうか。学生の頃の経験や周りの人の考えを吸収し、自らの力に変えていく。そのような姿勢が先生のリーダーシップを築いているのだと感じました。UNHCRの仕事をする前、上智大学で学生たちに講義をする様子女性たちの憧憬5

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